天狗の笛

清滝の静かな本谷の山間に三本柞(さんぼんいす)と呼ばれとるところがあります。昔、清滝の里に一人の笛吹き名人が住んでおりました。その笛の音色のよさといったら、村の人たちの心をとらえてしまうほどで、村祭りのときなどは、この名人が笛を吹かないと拍子抜けするくらいであったということです。

秋も近まったある日のこと、名人は薪拾いに本谷の山に入って、柞の大木のところまできて薪を拾いはじめました。薪も一杯になって「ここらで一服しょうか」と独り言をいって柞の木に腰をおろして、キセルを取り出し、タバコに火を付けたとたん、突然ゴロゴロ、ゴロっと雷が鳴って、ものすごい勢いで雨がふりだしたのです。「こらぁ、たまらん、せっかくの薪が濡れてしまう」といって、薪を柞の木の下に運びました。
「なして、こげな雷雨になったとやろうか」と、笛吹き名人は思ったのですが、実はこの柞の大木は天狗の昼寝床で、せっかくの昼寝を邪魔されたものですから、その腹いせに扇子を叩いて雷を呼びつけ、雨を降らしたのでした。

そんなこととは知らないで、笛吹き名人はじっと木の下に伏せていましたところ、いつの間にか空はからりと晴れ上がって、太陽の光が柞の葉の間から差し込みはじめ、もとの静けさを取り戻しておりました。「こらぁ、おかしい」と思った名人は、「早く帰ることにしよう」と立ち上がったところ、頭の上の枝に何かがぶら下がっていました。

よく見ると、それは綺麗な2本の竹筒で、木の葉を通して射す陽光でキラキラ輝いておりました。
不思議に思った名人は竹筒を手にとって、中を見てまたびっくり。漆塗りの立派な笛が入っていたのです。
笛吹きにかけては天下一と評判の高い名人は「今まで見たこともなか笛ばい。誰が忘れていったとじゃろうか。」と首をかしげながらも笛を口に当てて吹いてみたところがどうでしょう、この世のものとは思えないほどの音色だったのです。

天狗が忘れていった笛とは気付くはずもなく薪拾いも忘れてしまって吹き続けました。美しい音色が谷間を流れて、夢中になって吹いておりましたが、いつの間にかあたりは暗くなってしまっていました。「こらあ、うっかりしとった。早う帰らな」と笛を大事に腰に差して家路につきました。
家に帰り着いた名人は、一部始終を家の者に話して聞かせました。そのころ、犬鳴の山奥では、命よりも大切な笛をなくした天狗があちらこちらで笛を探してまわっておりました。まさか薪拾いの村人が持ち帰ったとは、まだ気付いてはいなかったのです。

天狗の笛とは露知らぬ名人は「長いこと笛ば吹きよるばってん、こげな美しいか音色の笛は見たことも聞いたこともなか。」と言って、家の縁側で吹いていました。それを見て家の者は「そらあ、天狗の持ちもんばい。早う返してこな、ばちの当たるばい。」と心配するのですが、名人はいっこうに取り合おうともしませんでした。それから、毎晩近所の人を集めては笛を聞かせていました。

そんなある日のこと、名人は裏山の畑を耕そうと、鍬を担うて出かけました。もちろん腰には笛を差していました、仕事の合間に一節奏でてみようと思ってのこととです。畑に着くなり「いっちょうひと汗流すか」と言って鍬を振り上げました。ところがどうでしょう、鍬を振り下ろそうとしても背中を引っ張られているような感じで、どうしても振り下ろされなかったのです。振り返って見ましたが、誰もいるような気配はありませんから「なしてかいな」と首をかしげてから、もう一回ためしてみましたが同じことだったのです。
もう、しかたがないから、名人は仕事をやめて家に向いました。

夜になって、昼間の出来事など忘れてしまっていた名人は、笛を取り出して、いつものように縁側に座ってから吹きだしました。そうすると、すばらしい音色ですから、近所の村人が一人二人と集まってきたのです。ところが、その時突然不思議なことが起こりました。夢中で笛を吹いていた名人が、一息入れようと思って吹くのをやめて笛を口から離そうと思いましたが、どうしても離れません。村人はふざけていののだろうと思って、名人と笛を引き分けようとしましたが、名人の額から冷や汗が流れるだけでした。

村人たちは「こらあおおごとのできた、天狗の仕業ばい。」と言って、隣村の占者のところに駆け込みました。事の次第を聞いた占者が名人の家に来てから、手を組んで呪文ば唱え一心に祈祷をしましたら、どうでしょう、あんなに引っ張っても離れんやった笛が、口からポトリと落ちたのです。心配顔で見ておった村人もほっと胸ばなでおろしました。真っ青になっていた名人は恐る恐る笛を拾いあげてから、丁寧に竹筒に入れました。

翌朝早く、名人はその竹筒を氏神様の天降神社(あまふりじんじゃ)に奉納したということです。
この笛は神宝として戦前まで古賀市薦野の天降神社に保存されていましたが、盗難にあい現在はありません。戦前、この笛を見たという古老の話では、「天狗の笛だけあって、指穴がとても大きかった」ということです。